中国医学とは-鍼灸-

この記事ではブログと動画で中国医学、特に鍼灸に着目してわかりやすくお伝えしていきます。

中国医学とは【鍼灸】
中国医学とはー鍼灸ー

日本の伝統医学である鍼灸、漢方

「東洋医学なんて、全然知らないです。民間療法でしょ!?」とディスる方も多くおられますが、風邪を引いたときに「葛根湯」、咳が長引いたときに「麦門冬湯」を家の薬箱で見つけて飲んだら楽になったとい経験は日本人の多くは持っているでしょう。
道を歩けば鍼灸接骨院がコンビニよりも多いというのも日本独特の風景です。

日本人にとって馴染みの深い漢方薬や鍼灸ですが、中国由来であるということも、なんとなく知っているという方も多いですね。
日本も中国も世界第二位と第三位の経済大国ですし、医療制度も整った国。であるにも関わらず、2000年以上前から連綿と続いてきた中国医学や東洋医学が生活の中に根付き、西洋医学の代替医療として、一部の人にとっては主要な医療として成り立っているのは驚くべきことです。

鍼や灸は5000年前から存在した!?

アイスマンをご存知でしょうか?

アイスマンは氷河の中で5000年間、まるでタイムカプセルのように保存され、現在に蘇りました。
皮膚が残っていたことで、死因も特定でき、また当時アイスマンが受けた医療行為が針治療ではないか?と話題になりました。
アイスマンの皮膚に残っていた、鍼で刺したあとや入れ墨の痕がまるで鍼灸治療で使われる経穴(ツボ)や経絡のようだったので、針治療を受けたのではという話題になりました。

アメリカ初代大統領の死因は知っていますか?

また中国医学でもよく使われる瀉血という手法ですが、5000年前に中東で栄えたシュメール王朝の医療行為として瀉血療法が一般的に行われていたことや、4000年前のエジプトにおいても瀉血が行われていたことがわかっています。
瀉血は各時代で断続的に行われてきた治療法で、アメリカ初代大統領であるジョージ・ワシントンが瀉血療法で血を抜かれすぎて死因が失血死だったというのは西洋医学の萌芽期に起こった笑えない事件ですが、あまり知られていません。

ただ中国医学で行われる瀉血はほとんど失血死を起こすことはありません。また瀉血よりは少ないですが、刺絡という点状の出血をさせる療法もあります。
失血死が少ないのは長い歴史の中である程度の手法が確立されてきたからです。
エビデンスが無いのも事実ですが・・・

中国医学の教科書、神話の時代に書かれた黄帝内経とは?

鍼灸、漢方の理論的な根拠は2000年以上前に記された黄帝内経という書物です。
ただ内容は文法の統一性がないことから数百年に渡って書かれてきたと考えられています。
また宋代、唐代、明代など各時代の医師により再編纂されていることで宗教的な内容が混入してしまったという側面もあります。

黄帝内経には現存する4種類の書物があり、「素問」「霊枢」「太素」「明堂」となっています。

素問の歴史

紙が発明される前は竹簡や木簡に書いて、紐でとめていましたが、紐が切れるとばらばらになるという欠点があり、文書の順番が入れ替わったり、中にはなくしてしまったりと散々だったようです。
素問も他の書物と同じく、長い年月でバラバラになってしまったのを唐の時代、王冰という人がバラバラになった素問をつないだと言われています。ただこの王冰は道教を信望する導師の身分だったらしく、素問の間に道教思想を挟み込んだと疑惑があり、あまり現代中国医学界隈ではあまり良く思われていません。
しかし現存する素問は王冰の編纂したものしか残っておらず、医療としての中国医学に道教思想を入れてよいのかと議論はつきません。

霊枢の歴史

霊枢は黄帝内経のうちでも素問の次は霊枢を勉強しなさいと言われるくらい重要とされています。
霊枢は別名。鍼経つまり鍼治療のための書物ともいえます。実際、霊枢の内容は鍼の形状、ツボの名称や部位、経絡について、鍼の刺し方まで鍼づくしの書籍です。
霊枢は一度中国国内で完全になくなってしまった歴史があります。
しかし宋代に朝鮮の高麗に霊枢が現存することがわかり、中国皇帝が朝鮮に霊枢を渡すよう命令をして、朝鮮にあった霊枢を取り寄せたという歴史があります。
もしこの時、朝鮮で霊枢が見つからなかったら、朝鮮が中国に渡さなかったら、今の鍼灸医療がなかったと思うと伝統医学の歴史は綱渡りなんだなぁと感じ入ってしまいます。

霊枢は素問と違って文章にまとまりがあるため、一部を入れ替えたりはされていないということがわかっています。

太素の歴史

中国人が日本に来て漢方薬を爆買しているのをニュースでみるとなんで漢方の本場、中国で買わないんだと思うかもしれませんが、これは黄帝内経の失われた歴史が関係あります。
唐の時代に楊上善(ようじょうぜん)という人が黄帝内経素問霊枢を編纂して注釈を加えて出版した太素は当時評価が高かったが時代を経るとともに失われてしまいました。
中国で失われた太素ですが、日本の江戸時代に京都の仁和寺にて発見されます。
日本は中国に比べて平和で戦争が少なかったので各地で失われた当時の遺物が残っています。
太素が発見された江戸時代は伝統医学の研究が最先端であり、そこに太素が加わったことで日本における鍼灸漢方研究は現代に比べても遜色のないレベルになりました。
日本漢方が中国医学に対しても独自の地位を築いているのは江戸時代に発見された太素という伝統医学の教科書を拠り所にしているからでしょう。
明治期に日本に訪れた中国の研究者は太素を見て仰天したというエピソードも伝わっています。

明堂の歴史

明堂も経穴、経絡に関する現存する最古の書物と言われていました。(言われていたというのは近代中国では更に古い書籍が見つかったから)
明堂も江戸時代に京都の仁和寺で発見され、当時の鍼灸医学のレベルを押し上げたと言われています。

現存した絹の医学書

黄帝内経も2000年前の漢の時代に成立したと言われていますが、近代まで写本が中心で原本は残っていませんでした。
理由は盗掘。
中国各地の墓が荒らされまくって、古代の遺物は残っていないか破壊されてしまっていたのです。
ただ近代、中国の政治が安定し始めると、中国各地で遺跡の発掘が進み中国医学の遺物もきれいな状態で発掘できるようになってきました。
発掘された中に絹で描かれた導引図(気功の様子)や経絡の記載などが発見され、やはり2000年間中国医学は連綿と伝わっていることが確認されています。

紙が発明されたのが後漢の時代ですが、それより前の時代には絹でおられた布に大切な情報が残されていました。
絹で書かれた書物を帛(はく)書といい、2000年以上前の現存する情報は帛書に現代でも目にすることができるようになっています。
そう考えると古代中国人の情報を残す、書き記すという執念を感じますね。

伝説の名医:扁鵲と華陀

扁鵲も華陀も中国医学を語る上で欠かせない登場人物です。

扁鵲

扁鵲は黄帝内経の作者とも伝えられています。生きた記述をたどると500年くらい生きていることになるので、当時の医療集団を扁鵲といっていたのでは?と現在では考えられています。
漢の時代の石碑に扁鵲のレリーフが残っているのですが、鳥と人が合わさったような描写がされています。
※鳥人といえば古代シュメール人のレリーフも鳥人、はたして偶然でしょうか?

華陀

華陀は三国時代に実在した医師として信憑性の高い情報が残っています。
蜀の武将、関羽の腕の骨の毒を外科手術で削り取ったとか、曹操の頭痛を治すために頭蓋切開を提案して激怒されて投獄死してしまったとか、歴史を知っている人にとってはかなり有名な存在。
ただ2000年前に麻酔を使用した外科手術を行っていたことに驚きを隠せないのですが、江戸時代に華岡青洲というお医者さんが華陀の記録を元に麻酔薬を再現し、記録上最古の乳がんによる乳房切除術を成功したことで、華陀の麻酔薬は実在したという証明が行われています。

激動の現代

2000年前に成立し、現代まで連綿と受け継がれてきた中国医学。
ただ日中戦争や第二次世界大戦、中国国内の内戦と荒れに荒れまくってしまった中国。
さらに中華民国に勝利した中華人民共和国ですが大陸での内政に失敗したことで医者が足りなくなる事態になってしまいました。
大躍進や文化大革命で、医療を担うはずの知識人が殺害されたり農村の放逐されてしまい西洋医学も中国医学もそろって医者が圧倒的に足りなくなってしまいました。

そこで考え出されたのが赤脚医生(はだしのいしゃ)
即席で医者を作り出して、簡単な治療はそいつらにやらせようとしました。
中国国内でも1980年代以前の医学論文は認められないとされているほど、当時は医療の体をなしていなかったようです。

中国も日本も現代に入り、世界第二位と第三位の経済大国になりました。
医療技術も世界トップレベルに立っています。
その中で漢方や鍼灸、中国医学は結構苦境に立たされている。
伝統医学として、自国の文化を体現する必要もあるし、エビデンスを通して医療の一翼を担う必要もある。
中国医学は歴史が古いというメリットもあるが、文化的な制約を自ら作り出してしまっている面もある。
その縛りから解き放つには今一度、歴史を知り、過去の事実を証明する必要がある。

華陀の麻酔薬、麻沸散を再発明した華岡青洲のように。

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